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映画「ふるさとがえり」から学ぶ地域づくりと中小企業の役割~未来を信じることの大切さ~

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2012年6月2日(土)、「ふるさとがえり」という映画の試写会が松江市内で開催され、お誘いを受けて観賞してきました。

タイトルのとおり、“ふるさと”がテーマの映画。あらすじは、仲良し4人組のリーダー格の主人公が、豊かな自然の中で楽しく成長していく中で、映画監督なりたいという夢を抱きます。そして進学を期に上京し、その後就職して映画づくりの仕事に従事しますが、20年後、訳あってふるさとに帰ってきます。20年ぶりに会う友人、学校の先生、近所の方々。懐かしさを感じる一方で衰退する地域の様子を感じます。地元の消防団に無理やり入れられ、その活動の中でも地域の現実を垣間見ます。幼少期の回顧、そして大人になってふるさとに戻った主人公を対比させながら、田舎の抱える問題や人々の葛藤などを描きつつ物語が進みます。

ざっくりとした感想としては、(大都市との対比と言う意味で)地域で生活する者として、また、地域で企業経営を行うものとして、受け止めるべきメッセージが多々あったな、というものです。いわゆる娯楽映画とは一線を画する、しかも、様々な見方のできる、見る方によって感じ方の大きく異なる映画、とも言えます。“ふるさと”とは、人それぞれに様々な意味を持ちますが、この映画は、“ふるさととなる地域でこれからも生活していくと決めている方”に、特に見て頂きたい映画だと思います。その動機づけの一助として、私が興味を持った観点をいくつか整理してみます。

映画ふるさとがえりパンフレット

1.“古き良き時代”かのように描かれる田舎生活の持つ意味~田舎を舞台に人と人とのつながりを訴える~

映画中で描かれる主人公たちの子供時代。およそ20年前(1990年)という設定ですが、もっと昔をほうふつさせる描かれ方です。1990年と言えば、私はちょうど20歳前。携帯電話やインターネットのちょっと手前ぐらいですが、暮らしぶりとすれば現在とさほど違うものではありません。その一方、この映画に描かれる子供時代は、毎日山や川で遊び、地元の駄菓子屋に入り浸ってジュースやお菓子を楽しみ、さらに秘密基地としてツリーハウスまで出てきます。うちの実家もかなり田舎ですが、子供もTVゲームが当たり前になってましたし、小学生の遊びでも、“川や山など危ないところで遊んではダメ”的な風潮が出てきていた時期だと思います。コンビニもありましたし、お菓子を買うのはスーパーとかでしょう。なので、映画の描写には少し違和感がありました。

しかし、これも意味があってのことと捉えられます。私自身、少なからず自然の中で遊び育った経験がありますので、映画の中の子供たちの遊びっぷりには共感します。また、大学まで島根で過ごし、都会(といっても広島市ですが)に出て就職し、16年後にふるさとに帰ってきたという経験もありますので、自分自身に重ね合わせてみることもできました。つまり、地方部から一度外に出たことのある方の多くの方の琴線に触れる思い出を最大化した、というイメージ(表現が難しいですが)でしょうか。

当初、私は、この映画で描かれる主人公たちの少年時代の描写は、現在とのギャップを際立たせるためにかなり誇張して描かれているのだろうと感じていました。しかし、そのことはさほど重要なことでは無いようです。大事なことは、かつての田舎、かつての地域、かつての日本にあったであろう、人と人のつながりの大切さにあります。人と人とのふれあい、つながり方のありよう、田舎を舞台に、それを分かりやすく描いている。そのことで、この映画を自分自身と照らし合わせて、より当事者意識を持って“ふるさと”を考えるきっかけを与えてくれていると理解してます。

2.この人たちは日頃きちんと働いているのか?~職業としての仕事を描けない地方の現実?~

この映画では消防団での活動が一つの切り口となり、消防団員として地域に関わっていく人々の姿が描かれます。その奮闘ぶりは本編で見て頂くとして、一つ気になったのは、物語の中核をなす主人公の幼馴染たち3名の職業としての仕事ぶりがあまり描かれないことです。主人公は役所の臨時職員、その他の三人は、ローカル線の駅員、地元特産品の生産農家、もう一人の仕事はほとんど触れられなかった(説明はあったかもしれません)ので良く分かりませんでした。

地域を愛する者たちが、地域を守るという共通の価値観で集まる場所として「消防団」を取り上げ、そこに軸足を置いて描いているので、いちいち登場人物の普段の仕事ぶりまで描けないというのは分かります。ですが、そういった“仕事の様子を描けない”のが、現在の地方の、田舎の現状だとも捉えられます。現実には地域の中小企業の中にすばらしい企業がたくさんあり、そこでいきいきと働く方々がたくさんいるにも関わらず、です。

“ふるさと”で生きることが映画のテーマなのに、そこで生きるための基本的な手段である仕事や職業については、描かれない。“あまりに普通で絵にならない”という面もあるでしょうが、中小企業者の経営者としては気になります。大げさかもしれませんが、“残念なこと”だと捉えることも必要ではないかと感じます。

本編中で描かれる消防団活動に精を出す人々。当然ながら、みんな消防団を本業にしている訳ではありません。それぞれに仕事を持ち、そこできちんと給料をもらえているからこそ、消防団活動にも精を出せる。そういう当たり前の姿が描かれるような、それが地方部の地域社会の当たり前の姿になれるような、そのための努力が、地方の中小企業の経営者に求められているのではないかというのが、経営者としての受け止めです。少し飛躍しすぎですかね。

3.日本中のふるさとへ「未来の物語を」~企画テーマが語る、地域づくりの本質~

この映画の企画資料を見ると、映画のテーマについて分かりやすく示されています。それは「日本中のふるさとへ未来の物語を届けること」。田舎を取り巻く現実、そしてその現実を前提に、やがて訪れるだろうと誰もが想像している常識への挑戦です。過疎化による限界集落の存在、コミュニティの崩壊といった現実を背景に、統計データから導き出される「○○年先には人口が半分になる」という将来像。多くの人が、田舎は少しずつ無くなっていくだろうと思っています。この映画が語ろうとしているのは、そういう過去のデータの延長で想像される未来を、当たり前に信じている我々への警鐘だと言ってもよさそうです。未来を語るということ、明るい将来を信じるということ、それが過去のデータからは想像できない、新しい未来を創出する原動力になる。そのように語っている訳です。

実は、このことは企業経営も同じです。過去のデータから推定すれば、多くの市場が将来も右肩下がり、今後は“人口が減り続ける”という前提に基づいていますから、国全体でみても、地域単位でみても市場は拡大しない。だから海外、アジアに目を向けろ、と言う話になります。現実的な選択としてそれもいいでしょう。しかし、地域の中で生きる中小企業、地域の共に歩むべき中小企業が、みずからの地域の将来を悲観して、地域から離れてしまっては、ますます地域が沈んでいくだけです。

だから明るい未来を信じることが必要だという訳です。そして、大事なのは“みんなで信じること”。地域づくりであれば、地域に暮らす人々みんなが信じる。企業であれば、そこに所属する人々みんなが明るい将来を信じること。それが、過去のデータの延長上からは見いだせない、新しい方向、いきいきと働く将来の自分達の姿を描くことにつながるのでしょう。

上映会後の交流会

本編上映の最後に、地域の方々からのメッセージが流れました。「あなたにとってふるさととは?」という設問に対して、さまざまな答えが流れ続けます。この設問、問いかけられて直ぐに明確に答えられる人がどれだけいるでしょうか。経営者に当てはめれば、何のために経営している?、会社の存在意義とは?という問いかけに当たるでしょう。最後に流れるたくさんの方のメッセージは、地域に暮らす人が、一人一人の価値観を見つめ直すよう訴えかけているようにも見えます。大事なことだけど、日々の生活の中では改めて考える機会がないこと、たくさんあります。それを考えることの大切さ、そのことが未来につながるということ、このブログをまとめてみて、それがこの映画から受け取ったメッセージの、私なりの答えではないかと考えています。

2012年7月15日(日)、松江市総合福祉センター4階ホール(松江市千鳥町70)にて上映会(観賞料1500円)が計画されています。お問合せ先は、カフェ太郎(松江市西法吉町36-28、0852-60-6305)まで。興味をお持ちの方は、この機会に是非一度ご覧下さい。

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コメント

  1. 岩本雅之 より:

    ご宣伝頂き、ありがとうございます。(*^^*)

    1. 石倉 昭和 より:

      こちらこそ、試写会にお招き頂きありがとうございます。たくさんの示唆を頂きました。

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