島根県中小企業家同友会

島根同友会松江支部4月例会 「工場は最高の営業マン」~3Sと働きやすい職場づくりで生き残りをかける~

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2013年4月16日(火)、島根県中小企業家同友会 松江支部4月例会が開催されました。この日は、『“サラリーマン”から“代表取締役”に ~リストラから始まった社長人生~』と題して、樋野電機工業有限会社 代表取締役 松坂好考さんから報告を頂きました。同社は、島根県松江市東出雲町で、制御盤の設計・製作を強みとした製造業で、県内外の幅広い取引先を持つ会社です。

松坂さんは、平成20年11月に、先代(現会長)から社長を引き継がれています。先代とは血縁関係が無く、全くの他人からの事業継承です。同族継承が多い中小企業において、社長就任まで常務取締役として長く会社を引っ張って来られたとはいえ、この重責を引き受けられるということ自体を尊敬します。また、就任直前に“リーマンショック”が起こり、その後も、東日本大震災、タイの水害、など製造業を取り巻く外部環境の激変に見舞われながら、会社の維持存続、そして事業の発展に向けて奮闘されてきています。今回、社長就任直後のリストラ、3Sの徹底、働きやすい職場づくりなど、これまでの取組みの一端を伺わせて頂きました。一部ですが、今回の私の学びをまとめています。

報告する松坂社長

1.社長の初仕事がリストラと賃金カット

報告の冒頭、「社長就任後の初仕事がリストラと賃金カットだった」ということを、まず話されました。前述のとおり、平成20年11月に社長に就任されていますが、その年の7月に正式に継承の打診があり、8月に受諾。その後9月にリーマンショックが発生、というタイミング。結果、急激な業績悪化に伴い、同年12月にはリストラ(人員整理)と賃金カットの実施を余儀なくされたそうです。もうリストラは絶対したくない、でもその時はそうするしかないと思った、と後悔の念を持って話をされました。

人員整理としてのリストラ。経営者としては最も避けなければならないことの一つです。そうならないためには準備が要ります。事業を伸ばし、人財を育て、常に領域(顧客、市場)を広げていく。財務的に不測の事態に耐えうるだけの蓄えを積み上げる。それは分かっているけれども出来ない場合も多々あります。詳しい経緯は割愛しますが、報告を聴くと樋野電機工業さんの場合も、そうだったと思います。一聞すると、タイミングが悪るかった、という気もしますが、社長就任直後にこの苦境があったからこそ今がある、と捉える事も出来ます。最初が一番の難関だったから、後はやりやすい。これは私自身の短い経験からも、そのように感じます。

当社も、私が社長に就任した直後に人員削減を行いました。事実、状況は良くなかった。しかし、その時の私は“会社が危ないんだから当然だろう”と思っていました。だが、そうではない。少なくとも“当然だろう”というのは、社員のみなさんに対する感謝の欠如であり、経営者としての資質を欠く認識です。残念ながら、そのことは同友会などでの学びを通じて分かって来ました。そうしなくても良かったのではないか、今なら他の手が打てたのではないか、それはこういった話を聴くたびに頭をよぎります。

しかし、それは既に過ぎ去ったことで、過去は変えられません。もちろん、リストラの対象になった方々からすれば、その心の傷はずっと癒えないかもしれない。だが、そうしなければ会社全体が行き詰まり、全員が職を失っていたかもしれない。ならば、それをきっかけに会社を発展させることで、そのリストラにもなにがしかの意味があったと理解して頂けるよう努力を続けるしかない、と私自身も改めて身につまされ、決意を新たにさせて頂くことが出来ました。

2.「工場は最高の営業マン」~3Sが示す会社の信頼感~

今回の報告で私が一番印象に残ったのは、「工場は最高の営業マン」という言葉です。

製造業の世界では良く言われる言葉だそうです。製造業に限りませんが、各社の競争が激しく仕事や製品の品質、そして価格にもあまり差が出なくなっている時代です。そんな状況だからこそ、工場を徹底して整理・整頓・清掃し、そこをお客さんに見てもらう。お客さまは、そのきちんと管理された工場の様子をみて感動し、その会社の品質や仕事ぶりが間違いないと確信して発注を決める、ということがあるそうです。樋野電機工業でも、制御盤の検査に訪れた発注先の担当者の方が、工場の中を見て「検査をしなくてもこの工場を見れば品質が間違いないと分かります」とおっしゃる(もちろん検査はされるのでしょうが)ことがあるそうです。

この3Sの取組みは、先代の時から、大阪からコンサルタントを招いて指導を受けながら着手し、かなりの時間をかけて実施されてきたそうです。当初は、松坂さんも含めて現場はかなり反発したそうです。それでも、少しずつ、出来るところから続けていくことで、現在では、前述のとおり会社の特色となり、差別化につながっています。そして、このコンサルタントを招いて取り組むというやり方自体、当時の樋野電機工業の事業規模からみても、異例のことだったと話されました。それでも必要だと判断して組んだ先代の決断が、今、会社の強みになっている。正しいと信じたことについては職場の反発を恐れない経営者の決断力、そして継続することの大切さを改めて学ばせて頂きました。

実は、私自身、当社の倉庫(さく井工事にかかる機会や資材、備品等の保管場所)をきれいにしたいと考えて、少しずつ取り組んできています。しかし、今回の話を聴いて、お客さまが当社の倉庫を見て「この会社の仕事は大丈夫だ」と思って下さるだろうか、と自問自答した時、全く自信が持てませんでした。なぜ、職場をきれいにしなければならないのか、なぜ徹底しないといけないのか、社員と共通認識を持って取り組むための、大変いいヒントを頂いたと感じています。近いうちに社員と一緒に樋野電機工業さんの工場見学にお伺いしたいと考えています。

3.働きやすい職場づくりに向けた試行錯誤~自由に自分のペースで仕事ができる社風~

樋野電機工業では、“従業員が働きやすい職場づくり”という観点から、様々な先進的な制度を導入され、また試行錯誤されています。元々、先代の方針もあり、松坂さんが社員だった頃から、自由に自分のペースで仕事ができる会社だったそうで、悪く言えば仕事は担当者にまかせっきり。その分、社員の裁量を高めて制度面で柔軟性のある職場づくりを進められているそうです。

一例として、1時間単位での有給休暇制度(年間40時間まで)。比較的普及している制度ですが、(言い方は失礼ですが)事業規模からみると先進的です。そして、特筆すべきは、男性の従業員の方でも育児休職された実績があることです。これは制度を整えるということだけでなく、職場自体にそのような風土、雰囲気がなければ実現できないことです。

一方で試行錯誤もあります。以前、フレックスタイム制を導入されていたそうです。しかも「コアタイムなし」で運用されていたとのこと。女性従業員を中心に評判がよかったそうですが、コアタイムが無かったことで昼間一切出勤しない社員が出てくるなど、弊害も発生し、導入から6年で廃止されたそうです。結果的に廃止されたとはいえ、いいと思ったものは導入してみて、合わなければ止める。そういった試行錯誤、チャレンジを惜しまない柔軟な会社だからこそ、外部環境の激変にもなんとか耐え、新しいステップを目指すことができているのではないでしょうか。

これらの取組みが評価され、樋野電機工業は、平成21年に「しまね子育て応援企業(こっころカンパニー)」の認定を受けられています。認定時の取組みとして、短時間勤務制度(小学校就学前まで(6時間勤務))、子の看護休暇(小学校就学後も取得を承認(必要な日数、半日単位の取得も可))、配偶者出産休暇(1日)、出産祝い金(1万円を支給)、等となっており、もっぱら法に定められる範囲の制度しか導入していない当社と比べて、その先進性は大いに参考にさせて頂きたいと考えています。

例会の様子

今回の報告を聴き、改めて樋野電機工業の業績をたどると、松坂さんが樋野電機工業に入社されたのは昭和57年。当時は従業員6名、売上も6000万円ほどの会社だったそうです。その後、常務に就任されて業績を伸ばし、現在、ピーク時からは減らしているものの2億4000万円の売り上げ、従業員24名の事業規模となっています。これは、松坂さんが取り組まれた新しい取引先や事業領域の開拓、様々な環境改善の取り組みなどの成果でしょう。しかし、自分が業績を伸ばしたことについては多くを語られず、リストラしてしまったことの自責の念、従業員が働きやすい環境づくりに腐心されたりすることを中心に報告される姿にこそ、松坂さんの人となりが表れています。謙虚にしておごらず、社員のため、お客さまのために尽くす、地域の中小企業の経営者のあるべき姿を垣間見させて頂きました。

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