2014年9月24日、島根県技術士会青年部会のオモシロ技術塾9月例会が開催されました。最近は欠席することが多かったのですが、この日はどうしても参加したいと思っていました。それは、タシマボーリング(鳥取市)の田島社長の話を聴く機会だったからです。田島さんはさく井工事(井戸堀り)と得意とする会社の後継者で、テレビ番組の企画で単身アフリカのガーナに乗り込み、「上総掘り」という日本伝統の工法をベースに、現地の道具と材料のみで井戸を掘るというチャレンジをされ、みごとに成功させた方です。この経験をきっかけに各地で講演もされています。大変素晴らしい話を聴かせて頂きました。ガーナでの奮戦記は、田島さんの会社のブログに詳しく掲載されていますので、今回の話を伺って私自身が感じたところを整理します。
1.不可能と思われることへの挑戦に意義がある
今回の講演の冒頭に田島さんが話された言葉です。
田島さんは20歳のころから先代と一緒に全国を回って仕事をされてきた現場たたき上げの社長であり、豊富な経験と現場に対する強い思い入れを持った方です。しかし、それでも、単身(TVスタッフ、通訳等は居るとしても)でアフリカの途上国に乗り込み、機械(動力)を使わず人力で、言葉も通じない地元の方々を使って、道具や資材は全て現地で調達(日本からの持ち込みは一切不可)し、何の地質的な情報もない土地で井戸を掘って、飲み水として使用できる水を出さなければならない。こういう条件を“不可能”と言うのでしょうし、そう感じる方がまともだと思います。
しかし、田島さんは、そういった条件だからこそ挑戦してやろうという気持ちを持たれるタイプの方です。誰でも出来ることならわざわざやらなくてもいい。なによりも、ガーナに行って水に困っている地元の方々、子どもたちを目の当たりにし、そういう気概、志を益々強くする。私などは、なぜ、そんなに強く気持ちを保てるのだろうと不思議に思います。
それを知りたくて、後日、田島さんの会社を訪問させて頂き、色々と話をさせて頂きました。そこで感じたのは、長年の経験で培われた自信に裏打ちされたチャレンジ精神です。前述のとおり20年以上、さく井の現場に携わり、施工方法の改善や新しい機械の導入、取り組み領域の拡大、スピード化とコストダウン等、常に新しい課題に取り組み、苦労を重ねながら経験を積み上げてこられた経験をお持ちです。それが自信となり、また新たな挑戦を引き寄せていらっしゃるのだろうということです。田島さんは、人のせい、外部環境のせいにするような発言を一切しません。井戸堀りという仕事を本当に誇りに思い、これからもその技術を世の中のために役立てていこうと本気で思われていることを感じます。
私と1つしか年齢が違わない田島さんですが、こんな方とぜひ仕事をしてみたい、こんな方にお願いしてみたい、そう思わずにはいられません。
2.社員が応援してくれたから行くことが出来た
今回の企画のために、田島さんはおよそ40日間、会社を留守にしたそうです。
普通に考えて、中小企業の社長が40日間会社を留守にして大丈夫かと言えば、そうでない会社も多いと思います。そもそも、社員が一体どう思うのか。その点、タシマボーリングでは、「社長ぜひ行って来て下さい!」と社員のみなさんが送り出して下さったそうです。「社内のそういった雰囲気が無ければ行くことは出来なかったかもしれない。」とも話されました。タシマボーリングは、社長のチャレンジを社員一同が応援してくれる会社なのです。
その背景には、田島さんの生き方、挑戦する姿勢があり、それに共感する社員のみなさんによって会社が動いている、という良い循環があるのだと思います。元々、先代が立ち上げ、田島さんが入社してからも4名ほどでスタート、少しずつ領域を広げ、現在は、十数名の社員を抱えて全国の施工現場で活躍されています。鳥取を起点に全国の現場で長期滞在して施工にあたることも多いそうで、従業員の心身の健康、プライベートの充実を気にかけていらっしゃるそうです。その気持ちは、必ず社員のみなさんに伝わっていると思います。
そして、ガーナから戻った後、社内の士気は上がったと話されます。会社の看板を背負ってガーナに行き、見事成功させた社長を誇らしく思うのは当然でしょうし、だからこそ、“自分達もいい加減な仕事はできない”、と感じる。「子は親の鏡」と言いますが、「社員も社長の鏡」だと思います。だからこそ、タシマボーリングさんと一緒に仕事をしてみたいと思う訳です。そのことで、私だけでなく、当社の社員も色々な気づきがあるのではないかと思っています。単に技術や値段だけでなく、「この人にお願いしてみたい」と思う出会い。そんな風に感じる出会いは、そう多くはありません。何かを感じ取る機会をぜひ持ちたいと思っています。
3.重い腰を上げて動くことで未来が拓けてくる
ガーナでの経験をきっかけとし、「次々と思いがけないことが起こった」と田島さんは話されます。
一つ目は、地元の小学校での井戸堀りの実現です。ガーナでの経験を小学校で講演したことをきっかけとし、鳥取県さく井協会の活動とも連動して、ガーナで行ったのと同じような手堀りの仕掛けを学校につくり、子どもたちがロープを引いて井戸を掘っていく、という取り組みが実現したそうです。そこでも見事に水が出て、子どもたちの喜ぶ姿を見ることができたと話されます。その様子は地元テレビに取り上げられて、話題になり、行政による防災井戸の検討が加速化するという動きにつながったということです。
二つ目は、先代であるお父さんとの関係です。実は、お父さんはパーキンソン病を患っていらっしゃるそうで、体が不自由な状態にあります。しかし、息子が単身ガーナに乗り込んで井戸掘るということに挑む姿勢をみて、元々趣味であったサイクリングにもう一度取り組み、しまなみ海道(本州四国連絡道路の尾道~今治ルート)の横断に挑戦します。薬を飲んで一時的に麻痺した体が動くようにし、少しずつ自転車で進んでいくという危険を」伴う大変なチャレンジです。田島さんも一緒にサポート役として参加し、3日間をかけて見事ゴールされます。その様子もテレビに取材されており、映像として見せて頂きました。
私も父である先代から会社を引き受けた身です。同居もしていますが、職場で仕事の話はしても、家で会社よりたくさんの話をしているかと言えば疑問です。継承した時に業況が悪かったこともあり、私は会社の苦境を先代のせいにし、批判を繰り返していました。今は当時ほどの悪態つきませんが、それでももっと若かった頃の関係と比べれば、他人行儀な感は否めません。そういう私の立場で見た、田島さん親子の関係は、本当に素晴らしいし、自分自身はどうしてそんな風な思いやりを持って生きられないのか、悩むところです。それは、私自身が解決すべき課題ですが、今回の出会いによって、それに気が付くことが出来たことをまず感謝し、私自身の今後に活かしたいと思っています。
田島さんが挑戦されたテレビ番組は、「世界の子供がSOS!THE仕事人バンク マチャアキJAPAN」というテレビ朝日系列の番組で、残念ながら島根では見ることができないので、直接は知りませんでした。今回の一連の出来事は、そのテレビ番組から一本の電話が全てのきっかけになっているということ。恐らく全国の何社もの会社にオファーがあり、断った会社が大多数でしょう。しかし、そこで田島さんは引き受けた。違いはそこだけですが、その後の結果は大きく違った訳です。田島さんが最後に語られのは、『ちょっとしたことでも、素晴らしことに発展する可能性がある。面倒くさくても重い腰をあげて動くことで未来が拓けてくる。』という言葉。日頃、どうしても損得勘定や目先のことで判断してしまう私に重くのしかかります。しかし、こういった出会いがあるからこそ、重い腰を上げて今回の技術塾に参加してよかったと思います。「重い腰を上げる」、肝に銘じて今後とも実践していきたいと思います。