2012年8月14日(火)に、松江市八雲町の夏祭り「第13回やくもまつり おいでな祭」が開催されました。このまつりは、まつえ南商工会八雲支部の青年部メンバー(OBも含めて10数名)が中心になって、企画・立案し、毎年開催しているものです。今年で13回目になります。運営側で参加するのは昨年に続いて3回目、準備の仕事にも慣れてきましたが、今回は今回なりの気づきがありましたので、まとめてみます。(昨年度第12回の様子はこちら、一昨年度第11回の様子はこちら)
1.あいにくの雨に、信じる気持で立ち向かう ~信じる気持が雨の切れ間をもたらす~
私がやくもまつりの運営に参加して、今回初めて本格的な雨に見舞われました。昨年度も、開始直前の17時頃に雨に見舞われ出足を悪くしましたが、今回は16時頃からかなり本格的に降ってきました。当日の開催決定は14時に実施済。町内の防災無線で開催決定の放送を流していますので、それ以降は、よほどの事が無い限りは決行することになります。
この雨によるイベントの開催是非の決断は非常に悩ましい問題で、各地でイベントを企画される方々の悩みがいかほどのことか、身にしみて感じることが出来ました。安全をみて中止にして晴れたりすれば「なぜやらなかったのか」となりますし、決行して土砂降りにでもなれば「なんでやるんだ」ということになります。しかし、少々の雨だろうが、決行して良かったと考えています。
昨年のブログでも書きましたが、この祭りでは、お盆休みやその帰省などで久々に顔を合わせたと思われる若者たちの集団があちこちにみられ、毎年盛り上がりをみせます。また、日頃八雲町内に住んでいても、日頃は顔を合わせない人が、この祭りの場で顔を合わせてお互いの近況を確認し合う。子どもの成長を知ったり、お互いの家族の様子を垣間見たり、まつりが地域の交流に一役買っていることは間違いありません。そして、それを積み重ねてきたからこそ、「8月14日には必ずまつりがある」「あそこに行けば誰かに会える」といった、地域の行事として定着した祭りの楽しみを生み出しています。
だからこそ、少々の雨が降っても決行し、まつりの間、せめて花火が終わるまで天気が持ちこたえてくれることを祈る。それを信じて決行しました。そして、それが本当のことになりました。みごとなぐらい、まつりのイベントがスタートする18時頃から、花火の終わる20時半頃まで、雨がやみました。“たまたま”と言ってしまえばそれまでですが、せっかく準備した年に一度の祭り、町内のみなさんが楽しみにして頂いている祭り、であるならば決行しよう。「きっと止むはずだ」と信じる気持ち。そのことが、雨の切れ間をもたらし、いい結果を導くことになったと“信じます”。
2.花火はやはり祭りの華 ~至近距離での体感こそ地域のまつりの醍醐味~
今年のやくもまつり、なんといっても、花火がすばらしかった。
今回、商工会のつながりで、奥出雲町商工会に属されている(有)タイノスさんに花火をお願いしました。自動車部品製造、食品製造販売が主力ですが、その傍らで島根県内の大小様々な祭りやイベントで花火を上げていらっしゃる実績豊富な実力派の花火師です。やくもまつりでは、これまで遠方の花火業者さんに依頼していましたが、せっかく地元に、しかも同じ商工会に属している方で花火を上げていらっしゃる方が居るのだから、そこにお願いしてはどうかという意見があり、また先方も引き受けて下さるとのことで、お願いすることになりました。
当日、期待半分、心配半分で始まった花火でしたが、静かなスタートから中盤の連続した盛り上がり、終盤に向けた多彩な花火の連続、ラストの大連発花火。すばらしい出来栄えで、終了後の余韻の中で大きな拍手が沸き起こりました。おいでな祭は、過去13回開催されていますが、初回から携わっている先輩方も「今回は過去最高だったと思う」とその出来栄えを評価されていました。本当に素晴らしい花火でした。
やくもまつりの花火の良さは、花火と会場との近さです。田舎のまつりで見る花火の醍醐味はそこでしょう。大規模なお祭りの花火ほど大きくは無いけれど、すぐ近くで見れる。今回の花火は、そのことにギリギリまで挑戦して頂いたという印象です。近くで見れば迫力があるからと言って、お客さんの真上に花火を上げる訳にはいきません。予め保安区域を定め、安全を確保するよう指導されています。しかし、花火とお客さんを離せば、それだけ花火の迫力は小さくなります。お客さんが、可能な限り間近で、多彩な花火を見れるようにしたい。その想いで、最善の対応と挑戦をして頂いたタイノスさんには、本当に感謝したいと思います。
花火を打ち上げるためには、消防や警察などの許可や検査を受けなければなりません。当日は、地元の消防団の方にも待機して頂きます。たくさんの方々の協力や縁の下のサポートがあってこそ、花火を打ち上げる事が可能になります。だからこそ、花火はいいものにしたいし、お客さんに満足して帰って頂きたい、それがまた来年の客足につながり、まつり自体の盛り上がりにつながり、地域づくりとして花開く。来年もぜひお願いし、すばらしい花火を見せて頂きたいと、私自身は決めています。
3.地域のまつりの意味~地域の方々の力添えで成り立つ地域づくりの集合体~
私がやくもまつりに携わるのは今年で3回目です。商工会の青年部が主催、運営していますが、何となく単発的なイベントのように感じる面も少なからずありました。当たり前のように商工会青年部がまつりを企画・運営しますが、祭りそのものは商工会に属している事業者の収益に直接影響を与える訳ではありません。だから、なぜ商工会が祭りを企画運営するのか、なぜ続けなければならないのか、疑問に思う点もありました。そんな肩肘張らずとも、みなさんに喜んでもらえればそれでいいじゃないか、という意見もあるでしょう。そんな中、今年運営側として3回目の祭りを迎えるにあたり、まつりとは“地域づくりの集合体”とでもいうべき概念なのかな、と感じるようになりました。
限られた人員でボランティア的に運営している祭りですので、これまで、いい方は悪いですが、“商工会青年部が祭りを企画・運営してやってる”的な意識がありました。ですが、実際には商工会青年部だけで祭りが出来る訳ではありません。第一には、寄付金。町内の自治会、町内の商工会会員、一般事業者・個人、様々な方々から寄付を頂きます。3年連続して寄付金の担当を受け持ち、毎年、当たり前のように寄付を頂けることのありがたさに、改めて気づかされます。ほかにも、毎年祭りのポスターを書いてもらっている八雲小学校の6年生のみなさん。まつりへの屋台出店や翌日のごみ拾いを手伝って頂いている八雲ジュニアサポーターズクラブのみなさん。他にも、毎年格安で設備の設営や準備を手伝って頂いている町内外の事業者のみなさん。携わるポイントはそれぞれで、ごく一部かもしませんが、それらが全て集合すると大きな“祭り”として具現化する。そして、それを目指して多くの町民のみなさんが集まり、夏の夜のひとときを楽しんでまた日常に戻る。
それは、長年続けてくると当たり前のように感じるけども、実は当たり前ではない。つまり、“地域の祭りが出来る”ということは、そこにいまだ“地域”と呼べる、自分達の町、ふるさとが維持されている、きちんとした形で存在していることの証明ではないかと思うのです。だからそれを絶やさぬようにしなければならない。一人一人の携わり方はわずかなものでも、それをまとまめて大きな力にしていくための努力、継続的な活動は続けていかなければならない。それは、その地域で事業を営む者の務めである。そんなように思って、今回のブログを書いています。
やくもまつり、3回目にしてまた色々な発見と学びがありました。まつりの面白さも、違う側面から理解出来てきた気がします。来年の祭りではどんな発見があるのか、どんなハプニングが起きるのか、それもまた楽しみの一つとして期待しながら、来年を待ちたいと考えています。やくもまつりにお越し頂いたみなさん、携わって頂いたみなさん、ご支援頂いたみなさん、本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。